2009年12月25日
アルファ開発者 石川尚文物語 ―第5章 高校時代@―
中学を卒業し高校に入学した尚文。
中学時代は3年間、好きなバスケットボールに明け暮れた毎日でしたが、高校ではバスケットはおろか、いっさいの部活動に所属しませんでした--------------------------------------------
尚文:「本当はバスケットを続けたかったのですが、すぐ上の姉も仕事に出るようになり、早い時間に帰って来れないため、私が家事をしなければいけなくなりました。ですので、母が部活動をするのを許してくれなかったんです。」
5人兄妹で唯一の女性である姉。
父が死んでからは、母の代わりに家事のほとんどを姉がしてくれていました。
その姉が高校卒業後、大阪の専門学校に行きたいと言い出したのです。--------------
尚文:「母は昔ながらの考えの人でしたから、若い女性が家を出て、一人で生活することを頑として認めませんでした。しかし姉の友人たちの多くが大阪の女子大や専門学校に進学を決め、姉も友人たちと一緒に青春を謳歌したかったのでしょう。今まで母の言うとおりにしてきた姉が初めて母に反発したのです。姉も母に似て強情なところがあり一歩も譲らず、このときの進路の件で母と姉が大喧嘩をしたのを今でも鮮明に覚えていますよ。結局、姉は家に残ることになったのですが、今でも姉は大阪に行っていれば人生が変わっていたと良く言っています(笑)」
高校時代に尚文は得意の数学(簿記)の才能を開花させました。
尚文の高校は普通科にも関わらず、数学で簿記の授業がありました。
学校側としては、少しでも専門知識を身につけさせ、社会に出てもすぐに役立てられるようにとの配慮があったからかも知れません--------
尚文:「前回も触れましたが、3番目の兄は数学が大の得意でした。私も兄に負けないように!と中学の頃から数学だけは一生懸命勉強していました。高校に入ってもそれは変わらず、特に簿記は誰にも負けませんでしたよ。これは自慢ですが、普通科なので簿記を専門にやられている先生もおられませんでしたので、先生から私に質問してくることも日常茶飯事でしたよ。職員室でも簿記のことは石川に聞け!と言われてたくらいですからね(笑)」
また、勉強だけでなく、生涯を通して親友と呼べる友人たちとの出会いもありました。
尚文:「高校の友人たちとは今でもよく交流がありますね。ゴルフに行ったり、食事をしたり…。皆、容姿こそ変わりました(髪の毛とヒゲで私が一番変わったかもしれません??)が、互いに切磋琢磨し、心から信頼できる本当に大切な親友たちです。」
尚文は高校卒業と同時に、18年間育った故郷の香住を離れ、3番目の兄と同じく大阪の銀行に就職しました。
次回に続く
16:44
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2009年12月09日
ダイエットクッキーのモニター始めました
はじめまして
ケーフーライクスタッフのMです
ついにココナッツファイバークッキーのモニターを始めました
2週間詳しく毎日の経過をご報告しますのでよろしくお願いします
身長170cm 体重62kg 年齢40歳
10年くらい前から徐々に体重が増えとうとう40歳を迎える時には
70kgに手が届きそうな感じでした。痩身エステに行ったりしていたのですがなかなか痩せませんでした。おしゃれな服は全く似合わなくなりもうおしゃれをすることも諦めかけていました
しかし、会社でダイエットクッキーを発売すると聞き、最後のチャンスで20代のときの体重に戻れるかもを期待に胸を膨らませてモニターに立候補しました。2週間後が楽しみです
クッキーは、一食7枚なのでランチの代わりに食べることにしました。一緒に水分を取るとおなかの中でファイバーが膨れるといわれてますのでお茶をたくさん飲むようにしています
本当は、夕食の代わりにとりたいのですが、唯一の楽しみの夕食をクッキーにするのはちょっとストレスがたまりそうなので今回はランチで試してみることにしました
12/8から始めたのですが、1日の食事は、
朝食・・・コーヒー、食パン1枚、フライドチキン1本
昼食・・・お茶、ココナッツファイバークッキー
夕食・・・ご飯、茶碗蒸し、大根の煮物、ブリ半切れ
今朝、朝食後体重を計ると・・・・・・400g減っていました

このまま順調に体重が減って行くように、食事も大切ですが体を動かすことが大切かなと思い通勤の時はできるだけ階段を使ったりするようにしています
では、また明日ご報告します

ケーフーライクスタッフのMです
ついにココナッツファイバークッキーのモニターを始めました
2週間詳しく毎日の経過をご報告しますのでよろしくお願いします
身長170cm 体重62kg 年齢40歳
10年くらい前から徐々に体重が増えとうとう40歳を迎える時には
70kgに手が届きそうな感じでした。痩身エステに行ったりしていたのですがなかなか痩せませんでした。おしゃれな服は全く似合わなくなりもうおしゃれをすることも諦めかけていました
しかし、会社でダイエットクッキーを発売すると聞き、最後のチャンスで20代のときの体重に戻れるかもを期待に胸を膨らませてモニターに立候補しました。2週間後が楽しみです
クッキーは、一食7枚なのでランチの代わりに食べることにしました。一緒に水分を取るとおなかの中でファイバーが膨れるといわれてますのでお茶をたくさん飲むようにしています
本当は、夕食の代わりにとりたいのですが、唯一の楽しみの夕食をクッキーにするのはちょっとストレスがたまりそうなので今回はランチで試してみることにしました
12/8から始めたのですが、1日の食事は、
朝食・・・コーヒー、食パン1枚、フライドチキン1本
昼食・・・お茶、ココナッツファイバークッキー
夕食・・・ご飯、茶碗蒸し、大根の煮物、ブリ半切れ
今朝、朝食後体重を計ると・・・・・・400g減っていました
このまま順調に体重が減って行くように、食事も大切ですが体を動かすことが大切かなと思い通勤の時はできるだけ階段を使ったりするようにしています
では、また明日ご報告します
16:42
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2009年10月06日
アルファ開発者 石川尚文物語 -第4章 中学時代A-
自分達のために苦労している母の姿をみて、尚文は運動会や参観日、学校行事については一切母に知らせませんでした。
そんな母が一度だけ参観日に来てくれたのです--------------
尚文:「母の姿を見たときは、とても驚きましたよ。隠していたのにどこで参観日のことを知ったのか?あとで聞きましたが、友人の母が誘ったそうです。小学生ならまだしも中学生にもなるとやはり恥ずかしさの方が先にきましたが、内心はとても嬉しかったですね。しかし今振り返ると母が参観日に来てくれたのは、これが最初で最後でした。ちょうど得意の数学だったので、母に良いところを見せられて良かったです!(笑)」
尚文の得意科目は数学でした。
これはすぐ上の兄の影響が大きかったようです。
尚文:「3番目の兄はとにかく私の憧れであり、目標であり、ライバルでしたね。勉強は学内でも常にトップクラス。スポーツも万能で容姿も整い、女生徒が兄目当てで家に訪ねてくることも少なくありませんでした(笑)そんな兄ですが、実はかなりの努力家でして、毎夜遅くまで勉強していました。貧乏な我が家では、当然個室があるはずもなく、朝も早いので夜はいっせいに部屋の電気を消します。その真っ暗な部屋の中で、それこそ月明かりを頼りに勉強していました。」
その兄が高校3年生のとき------------------------------
尚文:「進路相談の3者面談がありました。担任の先生は、学年トップの兄の学力であれば、国立大学への合格は間違いないと、進学を強く主張されました。当然先生も、石川家の家計が苦しい事情は、十分理解してくださっていましたので、事前に奨学金制度も調べ、受験の費用まで兄に貸すと言ってくださったのです。そんな先生の姿や毎晩兄が勉学に励んでいたことを母も知っておりましたので、何とか大学に行かせてあげたいと思い、兄に大学を目指しなさいと話したのです。しかし、兄は就職の道を選んだのです。」
兄:「母さん、僕は高校まで好きな勉強を思う存分やらせてもらったし、これからは社会人として頑張っていきたいんだ。兄さん達が家のために頑張って働いているし、まだ妹や弟もいるから、一刻も早く母さんを助けたいんだ。」
こう言って兄は得意な数学を活かし、大阪の銀行に就職。
その後、独立して会社を経営するに至るのですが、尚文もこの3番目の兄と同じ道を辿るのでした。
次回に続く
18:58
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2009年08月17日
アルファ開発者 石川尚文物語 -第3章 中学時代 その1 -
中学生になった尚文----------------------------------
朝の仕事をしながら学校へ行くという辛い日々に変わりはなかったのですが、兄姉たちも高校生になっており、さすがに大人たちからいじめられることもなくなりました。
子供たちが大きくなるにつれ、当然、学費や食費も今まで以上にかさみ、家計はそれこそ“火の車”でしたが-------------------------
尚文:「母は、家が貧しくても子供たちには多くの事を学んで欲しい!今後の人生のため、色んな可能性を見つけて欲しい!と思っていたのでしょう。皆と同じように授業が終わると部活動をして、夜は家で勉強していました。3番目の兄は特に優秀で、学年で常に1番の成績でしたね。私は…勉強については触れないで下さい(笑)」
中学3年間バスケット部に所属した尚文--------------------------
元々運動神経の良かった尚文ですが、持ち前の負けん気の強さと仕事で鍛えあげられた強靭な足腰で、入部後すぐにレギュラーとなりました。
同級生からは頼りにされ、先輩からも可愛がられ、誰が見ても充実した日々を送っているように感じられました。
しかし------------------------
尚文:「皆は新品のバスケットシューズを履いていましたが、私だけは体育館シューズで練習していました。練習はまだしも、試合となると当然体育館シューズでは出れません。上級生のおさがりや友人から借りて試合に出場していましたが、私が上級生になるとそういう訳にはいかなくなり、母にバスケットシューズを買ってくれるようお願いしたんです。母に物をねだったのはこのときが始めてじゃないでようか?すると母は黙ってうなずき、翌日一緒にスポーツ店へ行き新品のシューズを買ってくれました。本当に嬉しくて、サイズが合わなくなってもボロボロになっても高校を卒業するまで大切に履きました。」
この頃からでしょうか----------------------?
母は、仕事の時間を今まで以上に増やしました。
子供たちも部活動などで日曜日、仕事に出れない日が続きましたので、当然その分収入も減るわけです。
大きくなった子供たちを養うため、朝は3時から夜中の12時まで働いていました。
自分達のために苦労している母の姿をみて、尚文は運動会や参観日、学校行事については一切母に知らせませんでした。
母が一度だけ参観日に来てくれたことがありました。
第4章に続く--------------------
朝の仕事をしながら学校へ行くという辛い日々に変わりはなかったのですが、兄姉たちも高校生になっており、さすがに大人たちからいじめられることもなくなりました。
子供たちが大きくなるにつれ、当然、学費や食費も今まで以上にかさみ、家計はそれこそ“火の車”でしたが-------------------------
尚文:「母は、家が貧しくても子供たちには多くの事を学んで欲しい!今後の人生のため、色んな可能性を見つけて欲しい!と思っていたのでしょう。皆と同じように授業が終わると部活動をして、夜は家で勉強していました。3番目の兄は特に優秀で、学年で常に1番の成績でしたね。私は…勉強については触れないで下さい(笑)」
中学3年間バスケット部に所属した尚文--------------------------
元々運動神経の良かった尚文ですが、持ち前の負けん気の強さと仕事で鍛えあげられた強靭な足腰で、入部後すぐにレギュラーとなりました。
同級生からは頼りにされ、先輩からも可愛がられ、誰が見ても充実した日々を送っているように感じられました。
しかし------------------------
尚文:「皆は新品のバスケットシューズを履いていましたが、私だけは体育館シューズで練習していました。練習はまだしも、試合となると当然体育館シューズでは出れません。上級生のおさがりや友人から借りて試合に出場していましたが、私が上級生になるとそういう訳にはいかなくなり、母にバスケットシューズを買ってくれるようお願いしたんです。母に物をねだったのはこのときが始めてじゃないでようか?すると母は黙ってうなずき、翌日一緒にスポーツ店へ行き新品のシューズを買ってくれました。本当に嬉しくて、サイズが合わなくなってもボロボロになっても高校を卒業するまで大切に履きました。」
この頃からでしょうか----------------------?
母は、仕事の時間を今まで以上に増やしました。
子供たちも部活動などで日曜日、仕事に出れない日が続きましたので、当然その分収入も減るわけです。
大きくなった子供たちを養うため、朝は3時から夜中の12時まで働いていました。
自分達のために苦労している母の姿をみて、尚文は運動会や参観日、学校行事については一切母に知らせませんでした。
母が一度だけ参観日に来てくれたことがありました。
第4章に続く--------------------
09:33
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2009年07月06日
石川尚文物語 -第二章 幼少時代A-
一番上の兄が大阪へ出稼ぎに出たのは、尚文が6歳の時でした。
尚文:『当時の私には、兄が何故家を出たのか分かりませんでした。自分達は毎朝漁港に出て辛い仕事をしているのに、兄だけ何故遠い大阪の地に行くのか?もしかして自分達を残して逃げ出したのではないか?
そう思うと兄の事が憎らしくもあり、羨ましくもありましたね。実際は、私達兄妹が成長するにつれ今まで以上に生活費が必要となったため、少しでも賃金の高い都会へ住み込みで働きに出たのです。後に母から聞いた話によると、給料のほぼ全額を家に仕送りし兄はわずかなお金で生活していたそうです。』
小学校6年生になった尚文は、今まで以上に漁港の仕事を頑張りました。
夏はイカ釣り漁船からその日水揚げされたイカを桶に移し工場まで運びました。
尚文:『私が一番辛かったのは冬のカニ漁船ですね。日曜日に船元から預かったロープを兄妹4人でほどき、芯と皮に分け、芯を船元に返し皮を売って生活費にあてていたんです。香住は日本海に面している北国ですから、冬の寒さは特に応えました。大雪の日は2m近く積もり、その中での作業は本当に辛かったですね。それに漁を終えた後のロープというのは海水を含んでおり、手袋をしての作業が不可能でしたから、手はしもやけでグローブのようにパンパンに腫れ、痛痒いしその手が海水に触れたときは飛び上がりました。』
寒さの他にもうひとつ尚文を苦しめたもの--------------------
それは同業の大人たちからのいじめでした。
尚文:『子供ということでよく馬鹿にされましたよ。私達が作業をしていると周りから野次られたり、邪魔をされたり…。負けず嫌いの私はそんな大人たちが許せず飛び掛っていくのですが敵うはずもなく、目を晴らして家路に着く毎日でしたね。学校の先生はそんな私を見て、家で虐待を受けているのでは?と勘違いされ、何度か家庭訪問もされました(笑)』
決して楽ではなかったが、母と兄妹4人で楽しく充実した小学校時代を過ごした尚文。
こんな楽しい毎日がこれから先も永遠に続くのだと思っていました。あの日までは-------------------------
第三章に続く--------------------
尚文:『当時の私には、兄が何故家を出たのか分かりませんでした。自分達は毎朝漁港に出て辛い仕事をしているのに、兄だけ何故遠い大阪の地に行くのか?もしかして自分達を残して逃げ出したのではないか?
そう思うと兄の事が憎らしくもあり、羨ましくもありましたね。実際は、私達兄妹が成長するにつれ今まで以上に生活費が必要となったため、少しでも賃金の高い都会へ住み込みで働きに出たのです。後に母から聞いた話によると、給料のほぼ全額を家に仕送りし兄はわずかなお金で生活していたそうです。』
小学校6年生になった尚文は、今まで以上に漁港の仕事を頑張りました。
夏はイカ釣り漁船からその日水揚げされたイカを桶に移し工場まで運びました。
尚文:『私が一番辛かったのは冬のカニ漁船ですね。日曜日に船元から預かったロープを兄妹4人でほどき、芯と皮に分け、芯を船元に返し皮を売って生活費にあてていたんです。香住は日本海に面している北国ですから、冬の寒さは特に応えました。大雪の日は2m近く積もり、その中での作業は本当に辛かったですね。それに漁を終えた後のロープというのは海水を含んでおり、手袋をしての作業が不可能でしたから、手はしもやけでグローブのようにパンパンに腫れ、痛痒いしその手が海水に触れたときは飛び上がりました。』
寒さの他にもうひとつ尚文を苦しめたもの--------------------
それは同業の大人たちからのいじめでした。
尚文:『子供ということでよく馬鹿にされましたよ。私達が作業をしていると周りから野次られたり、邪魔をされたり…。負けず嫌いの私はそんな大人たちが許せず飛び掛っていくのですが敵うはずもなく、目を晴らして家路に着く毎日でしたね。学校の先生はそんな私を見て、家で虐待を受けているのでは?と勘違いされ、何度か家庭訪問もされました(笑)』
決して楽ではなかったが、母と兄妹4人で楽しく充実した小学校時代を過ごした尚文。
こんな楽しい毎日がこれから先も永遠に続くのだと思っていました。あの日までは-------------------------
第三章に続く--------------------
18:27
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| 石川尚文物語
2009年06月06日
新聞掲載!…石川が記者の対談♪
6月2日付けの『フジサンケイビジネスアイ』でアルファの記事が掲載されました!
記者の方と弊社の石川の対談形式で掲載されております。
以下は対談内容を抜粋したものです。
記者:【開発には自らの経験も影響しているそうですね】
石川:「30歳前に仕事のプレッシャーから高血圧、糖尿病、痛風、高脂血症になりました。一度に生活習慣病が押し寄せたわけです。血圧は200以上に達し、死を覚悟することもありました。いろいろな病院で治療を受けた後、35歳のときに大阪府吹田市の国立循環器病センターの治療で少しよくなりました。血圧が高めですが安定しました。ところが、血糖値は高いままでした」
記者:【治療だけでは良くならないのが生活習慣病ですね】
石川:「そうなんです。日々に摂取するものが大切なんです。漢方薬やサプリメントなどいろいろ試してみましたが、あまり効果はありませんでした」
記者:【そこで、自分でオリジナルのサプリメントを作ろうとしたのですか?】
石川:「50歳のときに友人にウコンとクエン酸を勧められたのですが、知らず知らずのうちに血圧が安定し腰痛や肩こりまでなくなりました。この時の経験をもとにウコンとクエン酸を加えた粉末の『ウコンさん』という商品をまず、作ったのです」
記者:【反応は…?】
石川:「『効き目があるが、飲みにくい』という声が少なくありませんでした。ウコンは苦く、クエン酸は酸っぱいのですね。続けて飲まなければいけないので、飲みやすくするため錠剤にしました」
記者:【「アルファ」も錠剤なんですが、「ウコンさん」の延長線上で開発されたのですか?】
石川:「『ウコンさん』は女性の愛用者も多く、美容への効果についての問い合わせが多く寄せられました。そこで、美容に良いαリポ酸、コラーゲン、ヒアルロン酸を加えれれば、両方、兼ね備えた商品ができると思いました」
記者:【単に成分を増やすだけでよいのですか?】
石川:「そうではありません。問題は配合率なんです。成分同士の特性が反発しあって、それぞれの効果を相殺しあっては何もなりません」
記者:【開発の壁は配合率だった?】
石川:「試作品の分析を繰り返し悩みました。そんななか、近藤礎博士との出会いがありました。配合に焦点をあてた論文の作成に意欲を燃やされ、共同研究、分析、開発が始まり成功したのです」
■生活習慣病の悩みを解決しながら美しく
記者:【「健康美容食品」という特許は?】
石川:「栄養補助食品というのではなく、健康、美容面に効き目があることを特許で示したかったのです。『健康美容食品』というのは、アカデミズムの力を得た発明であり、産学連携のたまものであるという意義もこめられた特許として自負しています。この製品で、生活習慣病の悩みを解決しながら美しくなっていかれる人が一人でも増えれば、努力のかいがあったというものだと思います」
10:48
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| アルファのこだわり
2009年05月30日
アルファ開発者【石川尚文】物語 -第一章 幼少時代-
石川 尚文(いしかわ なおぶみ)は昭和27年、松葉ガニで有名な兵庫県の香住という漁港町で5人兄妹の末っ子として生まれた-------------
尚文が10歳の頃、病弱で入退院を繰り返していた父が他界------------
食べ盛りの5人の子供を抱えた母は、昼夜を問わず働いたが、生活は困窮を極めた。
尚文:『その日の食事にも苦労する毎日で、私は栄養失調の一歩手前でした』
尚文達5人の兄妹も生活のため、父が生前やっていた漁港の仕事を継いで働いた。
漁港の仕事は朝3時半にカニ漁船から雪に埋もれたロープを岸に下ろすという幼い子供には過酷なもので、それは日曜日や休日も関係なく続いた。
尚文:『毎朝兄や姉にたたき起こされ、泣きながら漁港へ行ったのを思い出します。10歳と言えば小学校4〜5年生ですから、仕事といっても皆の足手まといだったと思うのですが、年端の変わらぬ兄妹が生活のため一生懸命働いているのに自分だけ何もしないのが嫌だったんです。そのせいか、負けん気だけは人一倍強くなったと思います…(笑)』
10歳といえばまだまだ親に甘えたい、友達と遊びたい年頃だが、尚文には遊んだ記憶がない------------
朝の仕事は尚文が高校を卒業し、社会人になるまで毎日続いた。
第二章へ続く--------------
尚文が10歳の頃、病弱で入退院を繰り返していた父が他界------------
食べ盛りの5人の子供を抱えた母は、昼夜を問わず働いたが、生活は困窮を極めた。
尚文:『その日の食事にも苦労する毎日で、私は栄養失調の一歩手前でした』
尚文達5人の兄妹も生活のため、父が生前やっていた漁港の仕事を継いで働いた。
漁港の仕事は朝3時半にカニ漁船から雪に埋もれたロープを岸に下ろすという幼い子供には過酷なもので、それは日曜日や休日も関係なく続いた。
尚文:『毎朝兄や姉にたたき起こされ、泣きながら漁港へ行ったのを思い出します。10歳と言えば小学校4〜5年生ですから、仕事といっても皆の足手まといだったと思うのですが、年端の変わらぬ兄妹が生活のため一生懸命働いているのに自分だけ何もしないのが嫌だったんです。そのせいか、負けん気だけは人一倍強くなったと思います…(笑)』
10歳といえばまだまだ親に甘えたい、友達と遊びたい年頃だが、尚文には遊んだ記憶がない------------
朝の仕事は尚文が高校を卒業し、社会人になるまで毎日続いた。
第二章へ続く--------------
11:46
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| 石川尚文物語
2009年05月27日
母の具合が…!?
長崎県在住 OMさん(女性) 50代
私の母がアルファを愛飲しております。
母は3年前に脳梗塞を患い、現在も要介護状態です。
脳梗塞とは…
すべての神経や機能を司っている脳の細胞がやられてしまう病気ですので,その後遺症も色々です。
梗塞状態がひどいなら,最悪の場合は死を招く場合もありますが,血栓(血の塊)によって血液の流れが止まってしまった個所によって,引き起こされる障害は違ってきます。
つまり脳細胞のどの部分が死んでしまったかによって障害が違ってくる訳です。多くの場合は下記のような障害を引き起こします。
たとえば,脳の運動機能に関係する部分が壊死してしまえば,マヒが残ることが予想されます。片マヒ(片側の手足の運動マヒ)と呼ばれるものです。
脳の視覚中枢ならば,視野障害(失明,視力低下など)が引き起こされます。
脳の知的中枢ならば,痴呆などを引き起こす場合もあります。
さらに感覚障害,言語障害(思ったことを話せない,相手が言っている意味が分からなくなるなど),失読(字が読めなくなる)失書(マヒではないのに,字が書けなくなる)妄想や気分・感情の異常,記憶障害などの精神症状,尿失禁(尿意が分からなくなり,失禁してしまう)といった障害があらわれます。
また,情緒障害といったものもあります。自分から何かを進んでしようとしない,新聞や本を読まなくなった,テレビのチャンネルさえ変えない,身だしなみにも無頓着になった,など自発性の低下があります。
さらに,会話が少なくなった,笑わない,すぐに泣いてしまう,夜間の徘徊,不穏,興奮状態などを引き起こす場合があります。
その母がアルファを飲み始めて、「随分調子が良くなった」と言うのです。
『もう少し早くアルファと出会っていれば、脳梗塞を患うことも無かったのでは…!?』と思っております。
母はもちろん、今では私も主人もアルファを愛飲しております。
これからもアルファを続けていきたいです。
15:50
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| 会員様の声
2009年05月26日
血圧の薬が減りました!
SZさん(40代)福岡県在住 女性
私は姉の勧めでアルファを飲み始めました。40代になり、今まで感じたことがなかった身体の変調が現れたのです。
まずは疲れが取れなくなったこと。それにこれまでは低血圧気味だった血圧が急に上昇したのです。
このままだとこの先どうなるんだろう…!?
そんな不安の中、アルファを飲み始めました。飲み始めた当初は、特に効果を感じることはありませんでした。
途中何度も止めようか…?
とも思いましたが、ケーフーライクのスタッフの方の励ましと継続することの大切さを教えていただき、辛抱強く続けました。
結果、去年の春先から飲み始め、いつもは必ず夏ばてでダウンしていた夏も普段と変わらず越すことができたのです。
さらに、今では血圧のお薬の量も減っています。
美しく健康に長生きする!
これが今の私の最大の願いです。
これからもアルファを続けていきたいですね。
08:15
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| 会員様の声
2009年05月23日
お米プレゼント!
ケーフーライクの新たなキャンペーンのご紹介です!!
ケーフーライクのアルファもしくはプラセンタのいずれかをインターネットでご購入いただいた【全ての方に♪】魚沼産コシヒカリをプレゼントさせていただきます♪
数あるお米の品種の中でも、食味・色・ツヤ・粘り(お米の美味しさ四大要素)のバランスが最もよく、総体的に高い評価を得ているコシヒカリ。
その中でも「魚沼産コシヒカリ」と呼ばれるのは、新潟の一部で収穫されたものだけを言います。
豪雪地帯特有の豊富な冷たい水、豊穣な土地ときれいな空気によって育てられた魚沼産コシヒカリの生産量は、全体の1%で7万トンにしかすぎず、希少価値の高いお米です。
ぜひあなたもおいしい魚沼産コシヒカリを一度食べてみませんか?
詳細は↓
http://www.kwholike.co.jp/
10:13
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